昨日は、文楽『キリストの生涯 / Gospel in 文楽』にあまりに感心、その紹介に徹してしまいまして、一日ずれました。いやはや、あの映像20回ほど見てしまってます・・・
さて、かくなる次第で昨日 12月11日は、フランスの作曲家 エクトル・ベルリオーズの誕生日でした。
ベルリオーズは1803年生まれで、没年は1869年。なんといっても有名な曲はご存知、幻想交響曲 Symphonie fantastique。1830年作曲ですから、20代の後半。失恋に絶望と怒りないまぜの中で書き上げた等々、逸話にはこと欠きません。
サイモン・ラトル指揮で、曲の一部がEMI ClassicsのYouTube専用チャンネルで挙がって居りました(つまり、引用上問題ない映像です)。私も大好きな第二楽章の、甘くて最後に狂気にまで高まって行くワルツ。
フランスのロマン主義文学者との交流、標題音楽の作曲の創始云々(平たく言うと、ロマン派小説のような筋書きをもって、音楽を作るという行い)、その劇的なオーケストレーションの描写力が主にフランス国外で、例えばドイツのワーグナー、ロシアのムソルグスキー他に与えた影響の大きさ等々、ベルリオーズと言えば、そういったさまざまな話は、どのCDのスリーブノートでもご存知かと思います。
では、そんなベルリオーズをもっと知る為の書籍を私の読んだ中で幾つか、、、それが本日の書籍紹介篇。
このブログは音楽書普及をしております。さまざまな書籍を感心しながら、疑いながら、読み進めて、友人の皆様や習い事の先生とも話し合って、なんにせよ雑誌だの批評家だのの話を鵜呑みにしない・・・そんな愛好家が増えればいいのかな、、、と考えて居ります。
ベルリオーズ自らの手による著作のご紹介
1) ベルリオーズ《作曲家の手記 Memoires》東京河出書房古本
一つ目は、ベルリオーズの自伝。私が持っているのは、左の写真昭和十四年初版の古本。これは同内容のものや、改訳のものが、幾つかでているのですが、Amazon.co.jpの古書がやたらと高い値段なので、リンクはつけずに置きます。
多分、古書店を歩けばまともな価格で見つかるかなと思います。
しかし、これが自叙伝であって、またベルリオーズの書き方が書き方で、どこまで信じていいものやら、、、という問題があるのですが、なんにせよ面白い!希有な書物。
これが何故、絶版中なのかほんとに惜しいのですが、なんにせよホントに面白いのです。妄想爆発の夢想家で、ユーモラスで、口も悪いけれど、思いっきりが良さそうで − これを読んだらこの作曲家に興味を持たないでいるのは難しい!というもの。
捏造妄想系自叙伝は、通常「わたしはすごいんです」と来るところですが、ベルリオーズは失敗談で自嘲気味に落とすところも弁えていて、それで居て、「苦難の末に大成功!アッハッハ」といった冒険活劇的ストーリーを持ってきます。
この大人げなさがたまりません!!
ちょっと引用してみましょう。パリ音楽院に習ったベルリオーズは、当時の学長のイタ公ケルビーニと争って、、、という因縁話が傑作。入学前から、あいつとは反りがあわないんだ!という話で、、、
就任当時のケルビーニが、「自分の就任を注目させよう」と、学校の門をこっちが男子用、あちらは女子用として、風紀取り締まりをしたそうです。そんなことはついぞ知らぬ入学前の若きベルリオーズ。堂々と女子用の門から入ると、それを咎める小使と一悶着。小使を追い返すと、今度は校長ケルビーニが血相かえてやってくる、、、
いつもより蒼ざめた顔、逆立った髪、険しい眼、慌ただしい足音。肱をついて読みふけっている沢山の閲覧者を、二人は順番に覗いて歩いた挙げ句、件の小使は私の前に立止って叫んだ。
「ここにいました!」
ケルビーニはあまり激怒していたのでひどくどもりながら、
「あ、あ、あ、あ!君だね」その変なイタリア語のアクセントは怒りのために余計滑稽にきこえる。
「わ、わ、わたし禁じた門から入ったのは!」
「先生、僕はあなたの禁止を知らなかったのです。今後気をつけます。」
「今後!今後!な、な、なにしにここへ来るか?」
「ご覧の通りです。僕はグルックの楽譜を勉強に来ているのです。」
「そ、それが、グルックの楽譜が君に、君にどうしたというんだ?だ、だ、誰が図書館へ入るのを、ゆ、許したんだ?」
「あなた!(私は少し冷静さを失い始めた)グルックの音楽は劇音楽のなかで一番美しいのを知っているからです。そしてここへ勉強に来るのに誰の許しも要りません。十時から十三時まで音楽院の図書館は一般に開放されている筈です。私はそれを利用する権利があります。」
「け、け、け、権利?」
「そうです。」
「わ、わたしはここへ再び来ることを禁ずる、私が」
「それでも僕はやってくるでしょう」
「き、き、きみは一体何と言う名だ?」と彼は益々怒りにふるえながら叫ぶ。そこで今度は私が蒼くなって −
「あなた!僕の名は多分四五日のうちにお知りになるでしょう。が今日は・・・・・・言えません!」
「待て!ま、ま、待て!オタン(小使いの名だった)どうしてあれをつかまえないんだ!」
それから主人と召使の二人は、肝をつぶしている閲覧者の中を、腰掛けや書机をひっくりかえしながら、私を追い回し、引っ捉えようとした。私は笑いながら迫害者たちに「あなたがたは、私もまた私の名もつかまえられないでしょう。そして私はまたグルックの音楽を勉強にやってくるでしょう」といい捨てて、足にまかせて一目散に逃げ帰った。
以上がケルビーにと初め合ったときの顛末である。
どこぞのヒーローもの活劇ですか!という具合で、全編こんな話ばかりであります。スミスソンとモークという二人の女性との失恋と幻想交響曲の誕生の有名な逸話も、ベルリオーズ自らの筆で読むと思わず惹き込まれます。ぜひ、復刊して欲しいものです。
引用文ではすべて新かな遣いに変更致しましたが、この独特の大仰さと滑稽身は、旧かな遣いが断然面白いので、ぜひそちらでお願い致します。
序乍、昔の本を旧かな遣いで読めないのは、大きな損だとつねづね思っております。すぐに慣れますから、旧かなの作品は旧かなできちんと出して欲しいものです。音の繊細さに慣れている皆様なら、字面の繊細さにも必ずや敏感と推察しております。
2) ベルリオーズ著『音楽のグロテスク』
長くなってしまって、後数冊ありながら今日はもう一冊。
とは言え、こちらはおすすめ!というよりは、ぜひ改訳をお願いしたいなぁ、、、、と。内容は、ベルリオーズ一流の楽しさにあふれているのに、私は何度も読破に挑戦して結局失敗しております。。。
その書籍は、ベルリオーズ著『音楽のグロテスク』。これはベルリオーズの音楽評論集で、訳者あとがきによれば、『オーケストラ夜話』の続編とのこと。昨年半ばの2007年6月の刊行と新しく、本邦初訳とのこと。
これは内容は大変面白いもので、ベルリオーズは元より、当時の音楽事情を知るに大変興味深いもの。この翻訳を企図し、実施された訳者の方には感謝の念を強く抱くものであります。
しかし、問題はその訳文で、翻訳は難しいとは私も経験上知るものの、本書は、、、きっと、時間的な問題等々の故と思います。訳者の方のあとがきの文章と比べて、本文はどれほどにどうなのか・・・
不正確ということはないと思うのですが、私もフランス語を少々かじったので、元の文章の構造なり、元の言葉なりを想像してみないとすっーーっと意味が通らないところが多かったです。
例を二つほど挙げます
どれほどの敬意や宗教的恐怖心を抱きながら、オペラ・コミック座の作曲家は悪い意味の名を発するのか。それについてこんな小話がある。ある日(そう、それは真昼間であった)、ある重苦しい悲しみの儀式の最中で、その一人が、最近芸術的な頭角を現した偉大な才能をもつある作曲家の弔辞を読み上げなくてはならなかった。人間界や天界のことだけが話題になるほどに、彼は十分に自然できちんとしたやり方で祈りを捧げた。 P.132
ああ!もしあなたが芸術で何か大きなことをやり遂げたいなら、それも結構。できる限りたくさんの金を儲けなさい。それでも、あなたがやり遂げることを求められている、義務として必要な力を維持するのにちょうどいいところでやめておくべきなのだ。おおよそいかなる王もまだ直面したことのない、王の義務である。 P.275
細かいことかもしれませんが、やはりまだまだ原語にひっぱられてはいますまいか。。。
微力ながら大掛かりに宣伝致しますので、機会があればぜひ改訳を。
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本日は二冊のご紹介にとどまりました。明日は別の数冊をご紹介して、その後はおすすめ録音の話と参りたいと思います。
では!