3月21日は、19世紀ロシア作曲家モデスト・ムソルグスキー(Modest Musorrgsky, 1839-1881)の誕生日。
3月21日はバッハの誕生日と重なりますので、当時のロシアで採択されていたユリウス暦ですと、日付だけなら誕生日が3月9日にあたるので(?)、ちょっと早めにムソルグスキーの今年の名盤紹介と参ります。
昨年は、おすすめ書籍とピアノ版の《展覧会の絵》をご紹介しました。
本年は、ムソルグスキーが唯一完成した歌劇にして、19世紀ロシア・オペラの傑作《ボリス・ゴドゥノフ Boris Godunov》を取り上げます!
バラキレフを導き手としながら、西洋音楽をどんどんと吸収していったムソルグスキー。歌曲やピアノ曲では、ロシアの民謡を用い、独自の作風を産んで居りましたが、最初に企画したオペラ《結婚》は完成をまたずに断念。
しかし、リムスキー・コルサコフのオペラ《プスコフの娘》に刺激されて、《結婚》断念後に、すぐに《ボリス・ゴドゥノフ》の作曲に取掛かったのが1868年。完成は翌年という早さでした。その後、自ら改訂を入れ、最終稿ができたのは1872年。
ムソルグスキーは、オペラに関しても、ヴェルディやワーグナーの作品を十二分に研究していたそうですが、出来上がったものは、われわれが知るいわゆるオペラと違う異色作。恋を歌い上げる華やかな二重唱などでてくることもない時代絵巻にして、心理的・社会的分析も優れた傑作でした。
この辺りの成立の諸事情や作品解説については、昨年ご紹介した一柳 富美子著『ムソルグスキー「展覧会の絵」の真実』、また、英書になってしまいますが、ジョン・ブラウン著『ムソルグスキー』(John Brown, Musorgsky)をぜひお読みいただければと思います。
特に後者のジョン・ブラウンの著は、ムソルグスキーの主要作品について隈なく、成立事情、楽曲分析、作曲家自らの手記からの引用はもちろんのこと、当時の音楽家や聴衆の反応も丁寧に取り上げていて、ムソルグスキーの音楽を聴くにあたって、大変役立つ伴侶として強くおすすめ致します。
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ムソルグスキー:歌劇《ボリス・ゴドゥノフ》のあらすじ
16世紀後半〜17世紀前半に掛けての、リューリック王朝終焉後、ロマノフ王朝成立迄の混乱期を題材にした時代絵巻。舞台が大きく展開し、登場人物も多数。主人公とヒロインの歌を聴かせるいわゆるオペラと随分様子が異なります。
プロローグ:モスクワ クレムリン(1598年)
イヴァン四世の死後、新興貴族の筆頭であったボリス・ゴドゥノフを皇帝にと懇願する民衆。ボリスはイヴァン四世の子 ドミトリーを暗殺した噂もあって、皇帝になることは固辞の姿勢を見せておりましたが、世論を鑑みたのか、ついに引き受け民衆に歓呼で迎えられます。
第一幕 第一場:モスクワ クレムリン チュードフ修道院(1603年)
ボリスの皇子ドミトリー暗殺による帝位簒奪を語る老修道士。皇子ドミトリーが生きていれば自分と同じ年と聞いた、若い修道士がグリゴリーは、ドミトリーに成りすまそうと計画します。
第一幕 第二場:リトアニアの国境近くの宿
ドミトリーを称して反乱軍を起こそうとポーランドに向かう修道士グリゴリーの逃走劇。
第二幕 第一場:クレムリンのボリスの居城にて
ボリスの娘と息子とその召使いの場面。ユーモラスにほっとさせる場面です。ボリスの良き家庭人としての一面も伝えます。終盤、ドミトリーを僭称する反乱軍の報告がこの先の暗雲を感じさせます。
第三幕 第一場&第二場:ポーランド ムニシェク将軍邸(1604年)
ロシアの女帝となる野望を抱くポーランドの大貴族ムニシェク将軍の娘マリーナ。そこにイヴァン四世の子皇子ドミトリーを僭称するグリゴリーが到着。二人の野望と恋がからみあいロシアに向けて反乱軍を起こすという展開。
イエズス会の僧ランゴーニが、ロシアのローマ・カトリック化を図ろうと、マリーナとグリゴリーの背後に暗躍。物語の陰影を増します。
第四幕 第一場:モスクワ 聖ワシリー大寺院前広場(1605年)
僧に祝福を拒絶されるボリス。民衆がボリスに反感を持ち始めることを伝えるシークエンスです。
第四幕 第二場:クレムリン グラノヴィタヤの大広間
ボリスの精神的支障を伝える部下シュムスキー。我が子の行く末を案じながら死亡するボリスとただ困惑するフョードル。
第四幕 第二場:モスクワの郊外 ムロームイの森
今やすっかり反ボリスに傾いた群衆が、ボリスの元部下フルシチョフを捕えて、陽気に合唱。いまや皇子グレゴリーとして進軍するグレゴリーは、高らかにイタリア・オペラ風のソロを唱い上げ・・・と、通常のオペラの大団円を見事に裏切って、いわば「皮肉」に使うムソルグスキーのアイディア!
以上、通常のオペラと随分違って、展開の早いドラマになっておりますが、その間をつなげるムソルグスキーの音楽の巧みさ、そして、ユニークさにはまったく感服致します。善か悪か、複雑な立場のボリスを見事に複雑に描写する手腕も、また他に例を求め難いものでしょう。
個々の人物、歴史、民衆等々、ムソルグスキーの考えを強く反映した「思想的」作品とも言えます。
ムソルグスキー:歌劇《ボリス・ゴドゥノフ》のおすすめDVD:ゲルギエフ指揮/キーロフ・オペラ盤
おすすめDVDの筆頭は、輸入盤DVD ゲルギエフ指揮/キーロフ・オペラ ムソルグスキー:歌劇《ボリス・ゴドゥノフ》の1990年ライヴ盤。
リージョン・コード0 NTSCで、日本での視聴も問題ありませんが、字幕は英・仏・独・伊・西・中のどれかで楽しんで頂くほかありません。しかし、この作品で推薦するに、本DVDに如くはないかと存じます。
おすすめポイントは二つ。1872年のムソルグスキー自身の最終改訂稿を用いている事、そして、映画監督アンドレイ・タルコススキーの見事な演出です。
おすすめポイントの第一点について、詳述致しますと、近年まで、《ボリス・ゴドゥノフ》の上演・録音は、リムスキー=コルサコフのオーケストレーション改訂版が一般的でした。しかし、このDVDでは、ムソルグスキーの最終改訂稿(1872年版)を使用。音楽の印象がかなりかわります。
よりくぐもった響きや各楽器の音が時にぶつかるような荒々しさに、「これがムソルグスキーの音か!」と感じ入りました。指揮者ゲルギエフの作る音楽自体にそういった傾向があり、どう譜面が違うかは、きちっと楽譜を見ないとおいそれなことは言えませんが、この若きゲルギエフが指揮するDVDを聴いて、「いままで知っていた《ボリス・ゴドゥノフ》とは違う!」という印象を持ったことは確かです。
おすすめポイントの第二点ですが、著名な映画監督アンドレイ・タルコフスキーの演出(1932-1986。この演出による初上演は1983年 英国のコヴェント・ガーデン王立歌劇場)が採用されています。
舞台のセットや衣装は重厚で見事であり、美しいこともこの上なし。演技・振り付けから伝わる人物とその心理も、歌詞をなぞっただけの“お芝居”などではありません。セットや人物の配置・色も、そのシーンの雰囲気を伝えると共に、構図としても飽きさせない緻密なものです。
これを見ると、ムソルグスキーの意図を十二分に汲み取って、それを十二分に舞台で表現した演出と多くの方が感じるのではないでしょうか?
一つ、具体例を挙げると、終幕倒れるボリスの場面の緊張感と周囲に見放される息子の場面など、歌と音楽の迫真性は、この演出によって見た事がないほどに引き出されているかと思います。
かくなる次第で、視覚的な芝居としも実に見事な作品に仕上がって居り、現時点では第一に推薦したい名DVD。ぜひご覧下さい!
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上述のDVDに欠点があるとすれば、一般的な日本の愛好家には、英語字幕などで楽しむほかないことです。
やはり日本語字幕で楽しみたい。ないしは、日本語字幕で要点をつかんでおきたいということであれば、国内盤DVD ラザレフ指揮/ボリショイ・オペラ ムソルグスキー:歌劇《ボリス・ゴドゥノフ》(1987ライヴ)などをどうぞ。
現在、CDの国内盤もあまり手に入らないようで、日本語で聴くにはこれが最良の選択になるかと存じます。
このボリショイ・オペラのDVDは、
- リムスキー=コルサコフの改訂譜を使用
- 途中、イエズス会神父が画策する場面と、ボリスの死後、無知な民衆が偽ドミートリーを歓呼で迎える「大団円」がカット
- 終幕部の順序も変えて、ボリスの死でクライマックス
双方のDVDをご覧になると、随分作品への印象が異なるかと思います。
では!
原作:
ロシア史:
栗生沢 猛生著『ボリス・ゴドノフと偽のドミトリー―「動乱」時代のロシア (歴史のフロンティア) 』
指揮者ワシリー・ゲルギエフの他のおすすめ:
ゲルギエフ指揮/ワールド・オーケストラ・フォー・ピース ストラヴィンスキー:ペトルーシュカ、他
ゲルギエフ指揮/キーロフ歌劇場管弦楽団 ストラヴィンスキー:春の祭典/スクリャービン:法悦の詩
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