9月8日はアントニン・ドヴォルジャーク Antonín Dvořák(1841-1904)の誕生日です!
姓の読み方は、内藤久子女史の名著『チェコ音楽の魅力―スメタナ・ドヴォルジャーク・ヤナーチェク (ユーラシア選書)』によるところ、片仮名表記ですと“ル”のない“ドヴォジャーク”がもっとも近い由。同書で、慣例も考慮した落としどころで、“ドヴォルジャーク”を採用しているので、ここでもそれに従います。
昨年のこの機会は、おすすめ書籍と交響曲第9番《新世界より》の名盤について触れました。その際、風変わりの名録音として、ちらっとご紹介したアーノンクール指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の録音ですが、今年は彼らの録音を中心に、ともすれば通俗的と見なされ、指揮者セルや、クーベリック、ノイマンのファンでないと忘れられがちなドヴォルジャークを再発見できなかというコンセプトです。(近年、漫画『のだめカンタービレ』で第5番が取りあげられ、ひょんな再評価中でもありましょうか・・・)
1990年代後半から、アーノンクールはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して、ドヴォルジャークの交響曲7,8&9番、ボヘミアの詩人エルベンの詩を基として晩年に作曲された四つの交響詩、ピアノ協奏曲、そしてスターバト・マーテル等を録音しております。これらが他にはない好録音と感じました。
アーノンクールらしいユニークで激しい描写・・・もし、ぴったりと併せた管弦楽団の合奏で激しい盛り上がりを楽しみたい・・・といったことであれば、他にも名録音があることでしょう。
このアーノンクール指揮の録音の面白さとして私が感じたものは・・・堂々と言ってのけてしまいますと、
- 総じてゆったりめのテンポをとりながら、アーティキュレーション、楽器間の旋律の受け渡し、楽器感の音色や音量の調整、バランス等々に大変気をつかっていること。
- 曲の推移、全体の構成に大変気を使い、他の録音ですとごちゃごちゃもにょもにょと過ごしてしまいかねないところが、非常に見事な推移になって、曲の物語が聴こえてくる様に感じること。
- 民謡の節回しやアクセントに気を配るだけでなく、自然描写で鳥の鳴き声や小川の音などを風景を感じさせる様な音楽作りをしていること。
等々。その結果、「これがチェコのドヴォルジャークの描きたかった民俗色か!?」と思うほど、他にはない演奏になっていると感じた次第です。もし、皆様にも、この拙いおすすめ記事で、この録音に興味をもって頂けたら幸いです。
国内盤、輸入盤が複数合って、ややこしいのでその整理は次回の記事に送るとして、今回はアーノンクール指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団によるドヴォルジャークの録音の第一弾としてリリースされた
に注目して、アーノンクールがドヴォルジャークの音楽にどう対応したかを見て参りたいと思います。
おすすめ名盤!ニコラウス・アーノンクール指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 ドヴォルザーク:交響曲第7番&交響詩「野鳩」
「見て参ります」といっても、ややこしいことはなく、肝要なところはCDのスリーブノートにアーノンクールが自らインタビューに答えております。これが中々見事なインタビューで、ドヴォルジャークに関するclichéを解いて行くといった内容。
いくつか引用してみましょう。国内盤を持っていませんので、英語訳からの拙訳となりますこと御許し下さい。( )内は、小生による注です。
そもそも、アーノンクールがなぜいまドヴォルジャークを弾くのか、
私にとって、ボヘミヤ、チェコスロヴァキアの音楽は只にオーストリアの音楽で、大変親近感をもっておりました。私の先祖がチェコにつながっていることも関係しているのでしょう。
(中略。アーノンクールがウィーン交響楽団でチェロ奏者をしていた頃は、)大半の演奏者がチェコ人だったり、チェコに先祖を持つ者だったり。ドヴォルジャークの交響曲を演奏した時は、いつでもオーケストラの団員の半分に涙が溢れたものです。
別に“古楽”をやってから漸く19世紀に辿り着いたのではなく、自分は若い頃からドヴォルジャークでも、R.シュトラウスでも大好きだったんだ・・・などとぽろっと漏らしておりますが、これはアーノンクールを考える上で結構重要な一言とも思います。
ドヴォルジャークというと、旋律が溢れ過ぎて、構成感が乏しいなどとよく言われますが、交響曲で言うと7番あたりからそれも変わって来たというのが、アーノンクールのひとまずの見解。ただ、だからといって6番以前に価値を認めていないと云う事ではなく、交響曲の録音を7番以降としていることは、販売にあたっての諸事情などもあるのだろうと推察します。
さてさて、そのドヴォルジャークの民族性というと、民謡を引用しただけなどとうっかり考えてしまいますが・・・インタビュアーにドヴォルジャークにとっての民謡とはなんだったか?聞かれて、
ドヴォルジャークは、民謡の引用を必要としてはいませんでしたよ。スラヴ風舞曲だって、彼自身の発明によるものです。民謡のリズムを模倣したのであって、音楽そのものをそうしたのではありません。
などと。交響曲第7番に特化する質問では、自らの演奏解釈に具体的にかかわりそうなことがいくつもでてきて、これも面白いです。
ブルックナーでは、トロンボーンの上にオーケストラの音が構築されているけれども、ドヴォルジャークでは、特定のパッセージでオーケストラの音を強めるためにトロンボーンが用いられていて、管弦楽法の実質的な基盤となっていることはありません。
この後、ブラームスとの比較、そして特に第三楽章のスケルツォの注意点の話などと話は進みます。引用も切りがないので、ぜひ実物を手にしてお読みになっていただけたらと思います。
そして、併収の交響詩にトピックは移りますが、まずドヴォルジャークにおける交響詩の重要性について一言します。
交響詩がチェコの音楽にどういう位置を占めていたか、ドヴォルジャークがいつ頃どんな交響詩を作ったか・・・こういった事柄にご興味があれば、昨年強く推薦した内藤久子女史の二冊『チェコ音楽の魅力―スメタナ・ドヴォルジャーク・ヤナーチェク (ユーラシア選書)』・内藤久子著『作曲家◎人と作品 ドヴォルジャーク』をぜひどうぞ。中々複雑な思想的背景などがあって、考えさせられました。
ちなみに今現在、アーノンクールが録音した交響詩は、ドヴォルジャーク晩年の四作品。ボヘミアの詩人カレル・ヤロミール・エルベンのバラードを基にした、《水の精》・《真昼の魔女》・《黄金のつむぎ車》・《野鳩(小さい鳩)》。このCDで収録されているのは、《野鳩》です。
アーノンクールの交響詩に関する注意を一つだけ引用しましょう。ドヴォルジャークは、プログラム(交響詩の基となっている詩)を聴衆に知っておいてもらいたいとは考えたけれども、決して一字一句、あの節がこの曲のこの部分に対応するなどと考えたわけではない・・・こんなことを述べた後で、
これらの交響詩が、プログラムから独立した、曲自身の音楽的論理を持っていること。だからこそ、素晴らしい音楽となっていること。ドヴォルジャークに関しては、これを抑えておくのが、極めて重要なことです。
このような調子で、解説のインタビューはもちろんの事、演奏でその考えが見事に具現化されているのが、アーノンクールのドヴォルジャークではないか思います。私が浅学なだけやも知れませんが、いまさらながらドヴォルジャークを再発見して楽しんだきっかけとなりました。
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かくなる次第で、ご興味あれば、
輸入盤CD ニコラウス・アーノンクール指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 ドヴォルザーク:交響曲第7番&交響詩「野鳩」
をぜひどうぞ!
国内盤は、交響曲第7番と第8番をカップリングしたこのCDが出ておりまして、インタビューも交響曲の部分がちゃんと和訳されて収められて居ります。
国内盤CD ニコラウス・アーノンクール指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 ドヴォルザーク:交響曲第7番&第8番
次回、アーノンクール指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のドヴォルジャーク録音がなにが出ているのか、ひとまとめにご紹介しますが、交響詩のみのセットも輸入盤で出て居りますので、ひとまずこの安価な国内盤を買われても大丈夫です。
では、また次回!
関連のおすすめ:
伝記の好著およびドヴォルジャークのはじめの一枚として交響曲第9番のおすすめをしております。
- 9月8日はアントニン・ドヴォルジャークの誕生日! 1of 2 −内藤久子氏のドヴォルジャークおよびチェコ音楽関連の著作ご紹介です
- 9月8日はアントニン・ドヴォルジャークの誕生日! 2 of 2 − 今更ながら交響曲第9番《新世界より》の名盤を幾つか!
CDを御探しの際は・・・
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