シューマンは1810年生まれのロマン派の音楽家。この頃はロマン派の大家が多く生まれた時期で、同じ年にはポーランドにショパンが、前年にはメンデルスゾーン、翌年はリスト、ニ年間を置いて、1813年にはワーグナーとヴェルディといった次第。
そんな中でも、自分にとっては、シューマンがロマン派のイメージにしっくり合うのですが、皆様はどうでしょうか?ロマン派といってもその性格はいろいろありますが、耽溺や激情、夢見がちな性向などを第一とした場合、まずシューマンを挙げてもおかしくないような気がします。(序でながら、自分はシューマンに国民主義的要素をあまり感じないのですが、題材を考えるとそんなことはないですし、気のせいでしょうか・・・)上述の『音楽と音楽家』は、シューマンが青年期から書き綴った音楽評論集。ベルリオーズやショパンなど同時代の音楽の価値を謳った文章もあれば、ベートーヴェンやシューベルトなど前の世代の音楽の復権に力を注いだ文章もあります。これが、名文句揃いで、ベルリオーズの幻想交響曲の分析などいま読んでも大変面白いです。昨年、久々に再読して実に感心いたしました。未読でしたら書店でちょっと覗いてみてください。
時に小気味よく断定したり( 諸君、帽子をとりたまえ、天才だ )、時に興味や熱意に応じるまま長い文章になったり ― 子供に向けた文章などは、優しさや面倒見の良さをうかがわせます。そんなこんなもシューマンの音楽に似ている気がします。
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さて、タイトルにある“リスペクト”という言葉。ここ何年かいろいろなところで耳にしますが、自分にはその語感が今一つつかめません。「ちょっと聴いたことがあります」ということなのか、「アイディアを借りました」ということなのか、単に「いいね」の新しい表現なのか。
・・・と最近TVでまたその言葉を聞いた時、ふと、“クラシック音楽でのリスペクト”を考えました。確かに、モーツァルトがハイドン、ワーグナーがベートーヴェン、ブルックナーがワーグナーと例はさまざまにありますが、クラシック音楽史上最大のそれと言えば、やはりシューマンがシューベルトをリスペクトではないでしょうか!?(これが一番と特定することでもないですが・・・)
シューベルト没後11年が経とうとしていた1838年、シューマンは、シューベルトの兄フェルディナントの家を訪問して、陽の目を見ずに埋もれていたハ長調の大交響曲を見つけました。これが、シューマンが言うように この交響曲を知らない人はまだシューベルトを知らない という大傑作で、シューマンは早速フェルディナンドの許諾を取り、ライプチヒのメンデルスゾーンの元にスコアを送り、初演への道をつくりました。その時の感激を記したものが、『音楽と音楽家』にある「フランツ・シューベルトのハ長調交響曲」という短文。これだけでもこの本を読むに値する、敬意に溢れた素晴らしい文章です。試みにその一部を引用しましょう。
この曲の模様を少しでも知らせようと思ったら、交響曲全体の筋を小説でも書くように書かなければなるまい。ただ、あんなに感動的な第二楽章については、ぜひ一言しなければ気がすまない。この中でホルンが遠くから呼ぶ声のように聞えてくるところがある。これをきくと、僕はこの世ならぬ声をきくような気がする。そうして天の賓客の忍び足で通ってゆく音を、傾聴するかの如く、全楽器ははたと止んで耳を澄ます。
この交響曲は、僕らに、どんなベートーヴェンの交響曲にも見なかったほどの効果を与えた。芸術家と芸術の友はみな口を揃えて誉めたたえた。それから、これを極めて綿密に検討した大家からきかされた言葉は、(彼がどれ程研究したかということは素晴らしい演奏ぶりをみてもよくわかった)本当にできることなら、シューベルトのところへ持っていってやりたいようなもので、おそらくシューベルトにしてみれば、きっとこれが無上のうれしい便りだっただろう。この曲がドイツに根を生やすまでにはまだ幾年もかかるだろうが、忘れられたり見失われたりする心配に至っては、全然ない。この曲は永遠の青春の萌芽を含んでいる。
こうして、たまたま墓参に行った帰りに故人のみよりを想いだしたことから、僕は二つの報酬を得た。第一の報酬はあの日に貰った。というのは、ベートーヴェンの墓で、僕は---鉄ペンをみつけた。僕はこれを大事にしまっておいて、今日のような晴れの機会にしか使わないことにした。願わくば、このペンによって記したものがこの世の賞賛を得んことを。---
ほんとうに美しい文章だと思います。