ちょっとした言葉や逸話でぐんと親しみを感じたりするものですので、まずはそんなものを二つほど。
シューベルトを聴いていると、孤独から生まれるやさしさですとか、やさしさの中の強さといった言葉が浮かびますが、そういうイメージにふさわしい記述が日記の中に発見できます。
1824年3月27日の日記から
他人の苦しみを理解するものは誰もいないし、他人の喜びを理解するものだって誰もいない!人はいつも、一緒に歩いていると信じているが、実は、ただ並んで歩いているだけだ。このことを認識するものには、おお、何という苦しみが待っていることだろう!
實吉 晴夫訳・解説『シューベルトの手紙 −「ドキュメント・シューベルトの生涯より」』
シューベルトは穏やかな性格で滅多に怒らなかったそうです。とある友人がシューベルトがめずらしく怒りを爆発させた模様を報告しています。ちょっと有名になってきた晩、オペラ座のオーケストラの面々と食事に行った際、ソロ・パートを書いてくれなどと擦り寄られたことがあったそうです。
芸術家だって?君たちは楽師だ!それ以上の何者でもない!君たちはそれでも芸術だと呼ぶのか?それは手仕事だ、器用さだ、それで金を稼げるだろうが、それだけのことだ!きみたちが芸術家か!ぼくが芸術家なんだ、ぼくが!ぼくはシューベルトだ、全世界がその名を知っていてその名を呼ぶフランツ・シューベルトだ!君たちには全く理解できない大きい美しいものを作った男だ!芸術という言葉が語られるとすれば、それはぼくについてであって、独奏部分を要求する君たち虫けらや回虫についてではない。君たちの独奏用になどぼくは決して書きはしない。
村田千尋著『作曲家◎人と作品シリーズ シューベルト』
この話は元々はドイッチュ編『シューベルト − 友人達の回想』白水社に載っているそうですが、この本は長らく− 何十年もです! −絶版にして、古本もまず見当たらない状態(神田の古賀書店も「見たことないですよ」とのことです)。こういうところもクラシックが多少とも流行らしいのに残念な状況です。
東京のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンは今年シューベルトに焦点当てるといいますし、復刊になればいいのですが・・・
なお、この音楽之友社の作曲家◎人と作品シリーズは安価にして内容も充実していて、もちろん一冊ごとに出来具合に差はあるのですが概しておすすめです。
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シューベルトの名曲・名盤のご紹介となると、今回は弊ブログで初めて取り上げますから、私の趣味で器楽作曲家として側面を協調したいな・・・と交響曲第9番(第8番と言われることもあります) ハ長調 D.944と弦楽五重奏曲 ハ長調 D.956で参りましょう!

生々しさ、激しさ、昂揚、自由なテンポの推移、絶妙なテーマの推移等々さまざまな美点が語られますが、どれも然りで、こういう録音に虜になったら中々抜け出すのは難しい、素晴らしい一枚です。

ハ長調 D.944の交響曲については、シューマンの言葉を引用して“長さ”を云々する記述がいまだ多いのですが、あのシューマンのエッセイ全体がある一人の音楽家が、歴史に埋もれかけていた一人の音楽家を発見する感動の報告になっていて、その一言だけを引用するというのはちょっとどうかなと常々思うものです。
前にもうちょと長く引用した記事を書きましたので、お時間があればご覧の上、なにかの機会に全文お読みなることがあれば、さまざま得るものがあろうかと存じます。
さて、もう一曲の弦楽五重奏曲 ハ長調 D.956。チェロを二本入れた重厚な五重奏曲。こちらも柔和なメロディと繊細な和音の変化が心の機微に触れるといったシューベルトのイメージが変わるような壮大な曲です。
これについても今更ながらの往年の名盤になりますが、カザルスとヴェーグ四重奏団のライブ録音を推薦したいと思います。その生々しさ、躍動感が、曲の冒頭から惹き付けて離さない素晴らしいものになっています。商品写真がないのがなんとも残念です。
2009年1月31日注:シューベルトの弦楽五重奏曲で、「これはいい!」と思う録音を見つけました。輸入盤 ヴェラー四重奏団 Decca録音集1964-1970(8枚組)というセットに入っている録音。
上述のカザルス(Vc)とヴェーグSQの著名な録音の力強さとは、正反対で端整な演奏ですが、すっかり感動致しました。
セットものなので、この曲だけ聴くにはちょっと適さないのですが、四人のバランスが良く、丁寧で、きちんとアンサンブルしていると感じます。他の録音もすばらしい出来ですから、ぜひお手にどうぞ。
この録音の詳細については、
に曲目詳細等綴ってございます。
しかし、フルトヴェングラーにしても、カザルスにしても、実に独特で迫力があって、いまはこうした演奏は聴けない類いのものです。二十年前に手にして以来、どちらの録音もいまだ全く価値の衰えないもので、私より長く− 30年、40年あるいはもっと −聴いていらっしゃる方も、同じ思いの方が多いものと思います。
他にもいろいろ聴いてみてはいるものの、結局こちらを聴いてしまいます。。。
ではまた明日!