結局、私もメディアに流通している演奏家しか聴いてないと言っていいわけで、ではあらゆる演奏家を全て聴くなんてことも、時間的にも予算的にも到底できない・・・メディアにのらなければ、そもそも名前を知ることだってできない・・・
日頃、せめてできることと言えば、知らない名演奏家も居る/居たということをちょっとでも気にかけて置くということなのでしょうか。そんな気持ちをちょっとでも持てばいろいろ変わってくるようにも思います。
かろうじて私もこういったことを気に掛けているとすれば、好きなピアニストに園田高弘さんが居るのですが、先だっても知人に園田さんがいい!と話をしたところ、「いまのピアニストの技術じゃないよ」の一言で片付けられてしまいなんともでした。指がミス無くまわるまわらないといったところで聴けばそうかも知れませんが、リンク先に推薦したべートーヴェンのハンマークラヴィーア、同じくディアベリ変奏曲、ショパンの前奏曲など、曲全体・このテーマの推移・このパッセージをどう掴んでいるかという部分で面白いところがあるのかないのか、そんなもの今や大したものではないのか、、、そういうものなしに指がまわってもそもそも比較になるのか、、、(べートーヴェンのニックネームのないソナタだって、すごくいい演奏です。)
大きな図書館などには置いてあるかも知れませんので、お時間があったらぜひ聴かれてみてはと思います。私が知ったのは殆ど最晩年で、コンサートも一度しか行けなかったのが大変残念ながら、いまでも大変鮮明ないい思い出です。
ちょっと話がそれてしまいましたが、このブログ Ken がたがたへりくつクラシック、この一年くらい(かな?)拝見しておりまして、先日初めてコメントしたところ、過剰にお褒め頂いた上、リンクもしていただいたので、どうやってお返しにご紹介したらいいだろうかと考えていたところでした。が、考えても妙案がでないので、唐突に紹介という・・・
直接お会いしたことはないのですが、ヴァイオリンを長く演奏されている方で、東京ムジークフロー(←リンク先に演奏会スケジュールもありますよ)という愛好家オーケストラでコンサートマスターをされている由。ご年齢的にはわたしの一回り上の方です。←って、そう書いてるお前は何年うまれだー!
さて、このブログの面白いところ、わたしのブログなどとぜんぜん違うところは、やはり演奏者の立場で書かれていることと言って良いかと思います。この差は一味、二味どころでなく、めちゃくちゃ大きいです。
わたしは弦楽器は触ったことがなくて(音を出すどころの話でなく、5cm以内に近づいたことがあるだけです)、ヴァイオリンなんて下手に触ったら壊れるんじゃないかと思っているくらいなので、 ヴァイオリンの音の違い、演奏法のかれこれについてもっと知りたいな〜と探していて発見!という経緯であります。結構、そういうところを書いてくれているブログって少ないんですよね。。。
コンサートマスターとしてオーケストラの演奏を良くしようと、楽譜にどう親しんだら良いかですとか、音楽史への興味を喚起したものですとか、ご自身が学生時代から今に至るまでに出会われたプロの演奏家の思い出ですとか、もちろんヴァイオリンそのものの演奏法についてと、、、さまざまに考察がなされています。
初めてご覧になる方は、この楽器・奏法を語ったものから読まれてはいかがかと思います。少々難しいと感じるところも、段々慣れてくるだろうと思って読んでおります。
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わたしも公開でいろいろ書いてしまっているからには、いい加減なことは書けないし(←一応、そういうつもりなのです!)、あまり不勉強ではいけないと、無精な性格に多少とも鞭を打っております。しかし、www時代の素晴らしいところは、さまざまな知識にアクセスできて、しかもその書き手の方とちょっとやり取りができたりすることです。そんな機会に教わってばかりなのが情けないのですが・・・
そこでつくづく思うのが、やっぱり、上述のKenさん然り別所でやりとりのあった他の音楽家の方然り、自分で弾く・作る難しさをご存知の方は、善し悪しにもちゃんと理由がはっきりしていて、好き嫌いはあっても、それだけで切って捨てたりしないことです。わたしのような聴くだけの人間より、評価するポイントというか幅が広いなぁといまさらながら感心です(それもお人柄の良さなどいろいろあるのかしら・・・)。
いずれにせよ、好きで聴いているんだから、好きに聴けばいいってことでもないような気がします。聴くことが主の愛好家に専門家の常識が普及できる簡単な仕掛けがあるといいのですが・・・クラシックのPop的・人情ドラマ的な売り出しよりもそういう地道な努力が大事なのかな〜と。
有名でない名演奏家が判ると、チケットは手に入りやすいし、チケットは安いし、いいことづくめです!!←経済的理由か!?
いつもながらの長文失礼致しましたっ
ではまた明日!
(自分のブログを過分にお誉め頂いた記事ですので、コメント遠慮します、と申し上げたのですが)
・・・じゃあ、今の技術って何? って、とても大切な話なんですよね。
たとえば、「古楽奏法」というのがアーノンクール以来認められてきたけれど、初期でも彼とアンティクァ・ケルンの方法論は違っていました。いまはノリントンが権威みたいですが、むしろ(ヨーロッパに限っても)団体の数だけ違った古楽奏法がある。・・・で、トピックのひとつとして「ノンヴィブラート」の件があるのですけれど・・・1930年代までのオーケストラの録音をお聴きになると、ノンヴィブラート演奏のものが多い(年代を遡るほど多いし、10年代は100%そうです)・・・これって、「古楽奏法」とどこが違うの? ってこともあります。ブラームスのサポーターとして有名なヨアヒムの弾いたヴァイオリンの録音(バッハの無伴奏ソナタ1番の第1曲)が残っていますが、ヴィブラートは全くかかっていません。ヴァイオリン弾きでご存知の型は多いと思いますが、演奏にヴィブラートを取り入れたのはクライスラーが最初です。
そう言うトピックに思いを馳せるだけでも・・・
「じゃあ、園田さんの演奏は古くさい、あるいはロマン的すぎる、あるいはヘタクソだ」
・・・そんな風にいう資格が、果たしてあるのかどうか、音楽を愛する人は、まず自問しなければならない、と、かように思っておる次第です、はい。
すみません、つい。
私は、園田さんは「うまい」と思っています。(近衛秀麿指揮でベートーヴェンの第5協奏曲を弾いている映像が残っていて、若い時の演奏姿を見られますが、ご年配になってもその時の技術は維持なさっていましたヨ。
失礼しました。
いま丁度『グールド演奏術』という本を読んで、そういうことを
考えていました。その本は“グールドもロマン派的な面がある”と
強調したいようなのですが、“ではロマン派ってなんなの?”と
いうところがはっきりしない。
ヴァイオリンのヴィヴラートの話もそうですね。私もエッゲブレヒト
その他の本を読んで、ヨアヒムの演奏がそうだと言う話に吃驚しました
(まだ音を聴いて確かめていませが・・・)。
でも、思いっきりヴィヴラートを掛けたほうが我々は普通ロマン派っぽい
印象を持ってしまう、、、
じゃあ古楽器派が厳密に表情記号従っているのかというと、「スラーが
そこで切れていたからって、前後をつなぐことがあるのは、バッハの
時代から云々・・・」って園田さんの楽譜で読んだり・・・
古楽器派といっても、中には判りやすい表面的な音色を変えている
だけで、アゴーギグは一辺倒で単純ってものも多い感じがしています。
ほんとにかつてそんな演奏だったのかな、、、と疑問に思う
ことも多々。ヴィヴラートがないならないで、もっと違う表情付けを
していたんじゃないかとか・・・
>音楽を愛する人は、まず自問しなければならない
断定すると多分気持ちいいんだと思うんです。でもそれは結局獅子身中
の虫というもので、自尊心だのなんだのの問題なのかな〜と思います。
>近衛秀麿指揮でベートーヴェンの第5協奏曲を弾いている映像
その映像先日ケーブルのBSフジで見て感動ものでした!園田さんは仰る
通り、指先の技術だけだなくって、その音楽作りのところも晩年と変わらないで
、いろいろと音を変えなにを
変えが面白くって、また近衛さんが、、、まだなんと言っていいのか
わからないのですが、すごく興味を持ちました(それでとりあえず近衛
さんの本を幾つも買って読んでしまったり)。